Wednesday, June 25, 2008

日本脱出

私がドイツにやってきたのは、およそ受験の1年前。その時はドイツ語なんて全く出来なかった。
とりあえず、3ヶ月分だけ日本で語学学校の申し込みをしていて、この3ヶ月の間に良さそうな美大を探し、滞在許可の延長をしなければならない。
3ヶ月後にはどこか他の町の語学学校に移る予定だった。

最初の語学学校は、かの有名なゲー○・インスティテュートで、選んだ理由については他の学校を知らなかったことと、大学の時にお世話になったドイツ語の先生に「最初はゲーテがいいじゃない?」と言われたためだった。

「さあ、留学するぞ!」という日本脱出の時だったから、さぞかし希望に燃えていただろう、というとそうでもない。
その逆で、根が小心者なので、不安の方が大きくって眠れないほどだった。

私の友人達は就職していたり、就職活動中だった中、私は留学を選んだわけだが、もちろん美大で勉強するためには入学試験に合格しなければならない。その試験に合格するかどうかなんて分からなかったし、もし合格できなかったらどうするんだろう…、とか考えていた。

もし入試に合格できなかった時は日本に帰って来ることになるだろうけど、就職できるんだろうか?
ドイツでデザインを勉強する、しないに関わらず、将来、どんな仕事ができるんだろう?
そもそも、将来的に働けるんだろうか?

そんなことをドイツに入国するまで考えていたのである。

こんな小心者だから、ドイツ行きの飛行機に乗るにも気合が必要で、大型スーパーの備しもの会場に座っていた、胡散臭そうな占い師のおねーちゃんに「あなたはドイツで成功します」とか、都合のいいことを言われて、やっと気力が出た覚えがある。

しかし、飛行機の中はツアー客ばかりで、おまけに隣に座ったのは、ツアー客のどこかの高校数学教師のおばちゃんで、「ドイツに留学する。大学は卒業してい るが、仕事は辞めてきた」と言ったところ、いきなり「最近の若い人は…」と説教されてしまい、とってもブルーなフライトとなった。

が、そんな心配ができていたのは、飛行機の中だけだった。

ツアー客でもない私は、自分で税関を通過する必要があったし、空港駅から語学学校のある町までの切符を買わねばならなかった。
ドイツ人は英語をかなり達者にしゃべる。が、私は英語はしゃべれないのである。
当時の私のドイツ語力は、ドイツ人の赤ちゃんの方がはるかにマシなほどだったので、5年や10年先の就職の心配をしている時間なんてなく、「どうやって切符を買おうか」とかいう些細なことの方が重要だったのである。

おどおどしていたら案の定、パスポートチェックでとめられてしまった。多分、パスポートに貼ってあったビザシールのせいだと思う。
何にかをみせろ、と言われていたらしいが、なんのことやらさっぱり分からず、「なに言ってるんだ、このにーちゃん…」という目で、検査官のにーちゃんを見 つめたら、「こいつ、こんなにドイツ語わからなくって、語学留学だってよ」ってな感じで、鼻で笑われたが、無事にその場を通してもらった。

その後、友人からもらった「旅に役立つドイツ語集」を握り締めて、窓口で切符を買って、どうにか語学学校のある町までたどり着くことができた。

その日はホテルの近くのマクドナルドでアヤシイ英語でチーズバーガーセットを仕入れ、夜の8時には眠りについた。

これが、私のドイツ初日だった。
時差ぼけも合あって、とにかく疲れた1日だった…。


01.06.2002 記(06.25.2008改)

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