Wednesday, June 25, 2008

語学生生活の終了

DSH試験の結果発表からさらに1週間後(だった思う)。
試験に合格したからといって、黙って待っているだけではもちろん、大学生にはなれない。
書類を揃えて、大学の事務局で入学手続き(Immatrikulation)をし、初めて大学での席が確保されるのだ。
しかし、私はDSH試験を受験した大学で勉強をはじめるつもりはない。私の美術大学ではDSH試験が行われないから、別大学で受験しただけの話なのだ。
美術大学での入学手続きに必要な書類として、DSH試験の合格証明証がある。
その証明賞を取りに再び、DSHを受験した大学へと向かった。

10日ほど前にこの町にやってきたときには、それこそ悪霊を担いでいるんじゃないかというほど身も心も重く感じたけれど、その日はその景色も違って見えた。
浮ついた気分でたどり着いた大学外国人局前で私を待っていたのは…。
入学手続きの順番を待つ、外国人入学希望者の人、人、人の群れだった。
「え?この人たち、全員ここで順番待ちしてるの?」なんて最初は信じられなかったけれど、この大学は歴史ある、海外でもとても有名なところなのだ。
大学生数も多いだろうし、それにしたがって留学生数も多いはず。
これはどこの役所や公共施設でもそうで、限られた期限内に絶対に必要な手続きをしなければならない場合、朝もとにかく早くにその手続きをする場所に行かないことには、自分の順番が回ってくることなんて、絶対にない。
何時間もそこで待っていて、でも時間切れだからハイ、帰って!なんていわれてしまう事はしょっちゅう起こる。
浮かれていた私は、そのことをすっかり忘れていて、大学の外国人局にたどり着いたのはもうすでに午前10時半ごろだった。
事務局が入学手続きを受け付けるのは、朝の8時ごろから昼12時まで。
しかも、この手続きはある一定期間内しかできないので、当然のことのように皆がその時間に殺到するのだ。

「あほやん、私…」としか自分でも言いようがなく、呆然と人ごみの中に立っていると、みんなどういうわけか、外国人局のドアに貼り付けられた紙をやたらと気にしているのが目に入った。
ふらふらとそこに寄っていくと、そこには入学手続きの順番待ちリストが貼ってあった。
1番から50番まで(だったか…?)番号がふってあるリストの横に、自分たちの名前を書き込むようになっていたのだが、もうすでに50番まで名前が書き込まれていて、その横に入学希望者が勝手に作ったリストが貼ってあり、みんなそこに名前を書き込んでいた。

ここに名前を書き込むべきか、どうか迷っていたら、外国人局から大きくて、いかにも「ストレスだらけです」という顔をした女の人が1人出てきて、その留学生お手製のリストを一瞥。
それをバリッと引っぺがし、一言。
「これは私たちの作ったリストではない。今日は私たちのリスト上に名前のある50人までしか入学手続きを受け付けない」と言い放った。

ええー、そんな!また明日もここに来なくちゃならないのー?

そこでウロウロしていた人たちの多くが、私と同じようにさーっと青ざめたり、むかついているのが見えた。
大きいし、機嫌が悪そうなその女の人に訊いてみるのも怖かったけど、「まあいいや。ダメでもともとで」と、とっとと外国人局の事務所に戻っていく彼女に話し掛けた。
「私、入学手続きは別にいいんですけど、DSH試験の合格証明証だけ欲しいんです!」とその人に言ってみると、私の方にちらっと目を向けて、「…ここで待ってて」と言われた。
あれは、私に向けて言ったのか、そうでなかったのか。
ちょっと判断つきかねて、どうしよう、どうしようとその場をウロウロしていたら、何分後かに同じ人が出てきて、奨学金留学生(か、交換留学生)に指示を出す。彼らは一般留学生とは別枠に入学手続きを行うらしい。
もう1度、訊いてみようと彼女に近づくと、訊ねる前に「私について来て!」と言われ、外国人局の事務所に入った。

名前と受験番号を告げると、ちょっと書類の間を探して、「ハイ、これ」とDSH試験の合格証明証を渡してくれた。
外国人局前では本当、どうなることかと思ったけれど、意外と簡単に目的の書類が手に入った。
…良かった、勇気を出してみて…。

まだまだ留学希望者でいっぱいの外国人局前廊下を通り過ぎて、ちょっと静かな場所のベンチに座って、じっくり証明証を見てみた。
げっ、めちゃギリギリの成績で通ってる…。
合格不合格のボーダーが口述試験なら、私の成績は口述試験行きかそうでないかのボーダーだった。

まあ、いいや。受かったんだし…。
と、この結果を気楽に受け止め、電車で家へ。
そして後日、この書類とともに美術大学の入学手続きをした。
入学手続きの帰り道、さっき受け取った学生証兼、公共交通機関の学生チケット(これがあると、電車、バス、市電などが一定区間無料で利用できる)を眺め、一人にやにや笑ったのを覚えている。

これが大変だったドイツでの語学生生活の終了で、その10倍以上大変なドイツの大学生生活の始まりだった。


10.02.2003 記(06.25.2008改)

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